“あかまる牛肉店が綴る、お肉にまつわるはなし”

オープンから4周年を迎えました -あかまる牛肉店が誇る畜産農家「鳥飼畜産」-

あかまる通信

前回から1か月以上開いてしまいました。ご無沙汰しております、株式会社あかまる牛肉店の鳥飼です。
前回、とりとめもなく弊社の店舗とその周辺のことを書いていましたが、今回は私の実家である「鳥飼畜産」について書いていこうと思います。できるだけ簡潔に(笑)
 
鳥飼畜産は、倉吉市関金町に2棟の大型牛舎、自宅前に2棟の小型牛舎を構え、220頭の鳥取和牛(鳥取県産牛黒毛和種)を飼育しています。平均すると、肉質等級はA5ランクが80%以上、A4以上の高品質牛は93%にのぼります。また、近年は肉質とともに“脂質”の向上にも力を入れていて、ロース部分のオレイン酸含有量は平均55%を超えています。

 

 
父・修(おさむ 67歳)が20歳で始めた畜産業は、今年で46年が経ちます。地元の農業高校を出た修は就職して社会人として働きますが、2年で辞め、農業を志します。修の父は梨農家でしたが、修は「梨づくりは自分の肌に合わない」と感じたようです。当時の日本は高度成長期。明治の文明開化とともに、肉食が禁忌とされた時代は終わり、徐々に欧米食が日本に入ってきました。戦後の復興を終え、人々の消費意欲が高まってくると、だんだん庶民の口にも“牛肉”が入るようになりました。修が畜産業をやろうと思ったのはその頃です。
 
修が20代後半で知り合ったのが、自分より2つ年上で、当時、おばんざいを出す大衆スナックをしていた母・育子(いくこ 69歳)でした。育子は同じ鳥取県倉吉市関金町の出身。ただ、大山(だいせん)町との境のような、非常に雪深い山奥の出でした。育子の生まれは香川県。戦後に香川から鳥取への開拓団が結成され、移住が盛んになると、そのうちの一家として育子は5歳の頃に鳥取に移りました。香川では、母方の親が村長、父が警察官という比較的裕福な家柄の長女でしたが、鳥取に移ってからは木々を掘り起こして田畑を作る、たいへん貧乏な暮らしに成り代わってしまいました。中学を卒業すると、名古屋の紡績工場へ働きに出て、両親と3人の妹を養うために仕送りをするという少女時代を過ごしました。20歳で鳥取に戻る頃には、当時100万円の軽トラックを現金で買えるほどの貯蓄もしていたというほど、勤勉で実直な人でした。

 

 
鳥飼家に育子が嫁ぎ、次男である私を含む3人の息子を生み育てながら、修の畜産業を手伝いました。また、家業の発展を期して、肥育(市場で子牛を仕入れて太らせ、食肉として出荷する)をおこなっていた修とは別に、繁殖(人工で種付けをして子牛を生ませ、8~10カ月育成する)という事業を始めました。これには“人工授精師”という資格が必要だったため、育子は30代後半で猛勉強し、資格を取得。以来、今日まで約20年間で産ませた子牛は2000頭以上にのぼります。
 
3人の息子のうち、長男は大阪に進学してそのまま就職。次男である私は、学生時代と2年間の仕事を経験した広島から戻り、半年ほど家業を手伝いますが「力仕事は自分には合ってないな(笑)」と、地元ケーブルテレビ局に就職。3男が貧乏くじ(今は相場が高いので当たりくじ?)を引いて、地元にある農業大学校を卒業後、鹿児島の和牛農家さんのところで1年半の修行生活を終え、家業を継ぐことになりました。

かくして、鳥飼畜産はまだまだ健在の修、育子とともに3男に引き継がれ、あと30年はしっかりと良い牛を作ってくれるだろうと思っています。

蛇足ですが・・・育子が1949年の丑年生まれ、3男である弟も85年の丑年、その長女が2009年生まれの丑年。3代続けて「うしどし」ということは、そろそろ「鳥飼」という姓を「牛飼」に改めますか?という話も出てきそうです。

 

 
お後もよろしいようで。。ようやく書けました第2回のメルマガは4周年の記念日です。まだまだ事業は道半ば、途上段階です。今後も理念を大事にし、創業の想いを共有しながら従業員とともに頑張ってまいります。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。